日記

統合失調症とちょっとアートの備忘録。

不合理を受け入れる

「めぐりながれるものの人類学」石井美保  青土社

 

という本を読んでいる。

ギンザシックスの蔦屋で気になり手に取った本だ。

 

この書き手はさまざまな事象への向き合い方が丁寧だ。

人類学研究のフィールドワーク中の出来事や思考を気まぐれな随想として書いたという本。

 

何とは無しに手に取った本から、今私が学ぶことは、

不合理を受け入れることなのではないかと思っている。

 

ひとり娘を事故で失った友人のことを書いたあと、こう続く。

 

「「なぜ」という問いに答える物語を受け入れることで、当事者たちが苦難の意味を了解し、窮境を乗り越えていくこと。私たちは、それをどこかで前提としていた。だが、自分よりも大切な誰かを失ったときに沸き起こる「なぜ」という問いは、どんな物語によっても答えられることがない。」

 

「苦悩からの救済をもたらしうる一方で、「問うな、もうこれ以上」と命じる力を秘めたものが物語であり、「なぜ」への答えなのだろう。」

 

私は今までの人生で合理的なものに考えが偏っていたように思う。

 

努力すれば報われる。

時間をかけただけ結果が出る。

 

だからこそ病気の10年が許せなかった。

そして病気の10年を受け入れるために必死に物語を考える。

病気をしたおかげで人の痛みがわかるようになった。

何かを学ぶために病気になった…。

 

だけれども、

物語によっても乗り越えて行けない出来事が起きるのが、この世の中であり、

それでも人は物語を作り生きていくのは、

「もう問わない」ようにするため。

 

こういう選択肢もあるかもしれない。

物語によっても解消できない不合理なことは、なにか意味をつけたり押し込めたりしないで、

そのままで生きていく。

 

出来るか出来ないかは置いておいて

そういう事もあるだろう、と思ってみるだけでいいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

世界は手間でできている

薬の調整で体調が劇的に良くなったのがちょうど一年前だ。

その頃から、体調が悪かった今までの10年は何だったのだろう、

という悩みがうまれ、

1年もうじうじ悩んでいることになる。

 

日常生活もままならない体調から、

毎日きちんと生活できるようになると、

あ、世界ってこのようにできているのね、という発見がある。

 

お風呂に入るでも、歯をみがくでも、

ちゃんと朝起きるでも、朝ご飯をたべるでも、

決まった場所に毎日通うでも、

毎日ちゃんと積み重ねることで物事が前に進み、

できることの可能性が開けてくる。

 

時間と手間をかけただけのことが、ちゃんと返ってくる。

 

世界は手間でできてる。

生きているのってこんなに手間をかけなきゃいけないことだったんだ。

よく、寝込んで、起き上がれないことの多かった日常からすると、

生きているだけで実は、かけなきゃいけない手間があったのに、

それをすっ飛ばしてきたから(病気だから仕方のないことなんだけど)

そのツケを今から、払わなきゃいけないんだと思っている。

10年分。

 

たとえば、単純に、

歯医者に継続して通えなかったから

たくさん治療しなきゃいけない部分が増えてしまった歯を、

いま何か月もかけて治していることとか。

 

統合失調症にかくれて、婦人科の不調(PMS)に気付かなかったので

いま試行錯誤してPMSの対策を探していることとか。

 

本が読めなかった、絵がかけなかった。

10年それができていたら、どこまでいけただろう、と悩むこととか。

 

過去の10年は何だったのだろう、という悔いは

たぶん10年かけて解消していくのだろう。

 

そして、これからかけていく手間は省いたらきっと未来にツケとして返ってくる。

 

特に子ども。

私の育てられ方をみても、

与えられたゆがみはちゃんと何かの形になって表れてきた。

子育てで息抜きしたり、手を抜いたりして全然かまわないのだが、

最低限のところで、かまうところを省くと、

それはちゃんと機嫌や体調に現れることをたった数か月でも経験した。

 

問題行動の多かったおばあちゃんには、

病気で倒れた時、あまり、助けなきゃと思わなかったが、

いつも優しくマメなおじいちゃんには、

大変だった時、なんとか力にならなくては!と必死になった。

 

優しくされたら優しくしたいし、

困らせられたら遠ざけたくなる。

 

そういう単純な仕組みが、人間だろうと、

日常のささいな動作だろうと、物質だろうと、

宿っている。

 

だから手間を惜しまずに生きていこう。

それを学ぶために病気になったのでは、とさえ思う。

 

 

 

 

生まれて初めて「絵を描いている」感じがした

 

 

以前、「美しい世界」という記事を書いた。

https://unaao.hatenablog.com/entry/20180117/1516218183

 

 

薬を飲み始める前には、
外界からの情報が整合性がとれていて、まとまりがあり、
物質の存在とその醸し出す雰囲気がぴったり合っていた、

美しい世界が見えていたのだが、

薬は義足のようなものなので、

その世界が見えなくなった、と言う内容だ。

 

今日、

展示で発表するとかしないとか関係ない絵を描いていた。

色鉛筆と水彩とパステルで、

以前から頭にあるイメージを描いた。

描いていて、生まれて初めて「絵を描いている」感覚がした。

 

驚くべきことなのだが、

そのあと、

以前見えていた「美しい世界」が見えた。

景色が違って見えた。

 

ずっと求めていたものが得られた。

 

 

 

 

 

 

分析して行動するの繰り返し

長年、体調がよくなかったから、

これだけ動くと疲れでこれぐらい休まないといけないから、

セーブするとか、

予定をキャンセルするとかいう習慣がついた。


または、それがうまくいかなくて、

寝込んでしまった時、

これはどうしてだろう?

これがよくなかったか?

いま、女性特有の周期としては、

どの時期だろう?

あの行動が無理してただろうか?

と考える習慣がついた。



また、

私は感情が激しいほうなので、

なにか自分の気持ちに無理をしていると、

とたんになにかしらの症状としてでてくるから、

自分の気持ちはどうだろう?

と分析するのは常だ。


これがみんな当たり前にやってる事だと思ってたふしがあった。


でもそうではなくて、

多くの人は自分の気持ちがわからなかったり、

体調が悪くなっても、

どうしてか?とは考えなかったり、

ネガティブな感情がでてきても、

それが何故か?とか、

自分はどう思ってるかをよく考えたりしないということを

最近知った。

他人が求めれば、

自分に無理してでもそれに答えることも、

しょっちゅうあることも知った。


ちょっとしたカルチャーショックだ。


夫がよく、

どうしてかわからない、と言ったり、

他人から、

(私は)よく分析してるんですね、

と指摘されたりしたことが続き、

そんなことに気づいた。



ある人も私と同じく、

分析して行動できる人なんだけど、

自分と同じタイプに初めて出会った、

と言った。



そんなに多くはいないらしい。



え、それって生きててつまらなくないだろうか??


ちょっとショックなんである。


でも、私と違うタイプの人も尊重しなきゃと思う。そこを忘れがちなのでよく覚えておかないと思って記事にした。




病気の症状のつらさにフォーカスされない

あるところで、

統合失調症の人は、若いときに発症する事が多いから、就労する機会が与えられないこともあるし、

結婚・妊娠も偏見のためできないこともある。

でもあなたは両方の機会が与えられたんですね。」

と言われた。

その通りなので否定しないけど、

でも、いや、いやいや、

動かない身体で働くの、ふつうに大変ですって。

 

 

統合失調症について発言するとき、

差別や偏見が付いて回って、

症状があるのでつらい・しんどいということがすっ飛ばされてしまう。

病気の症状のつらさにフォーカスされず、

別の部分で戦わなければならない。

 

 

病気なので、ふつうに、つらい。

風邪をひいている人をいたわるように、

骨折している人を手助けするように、

できないものなんだろうか。

 

 

わたしはそのようにいたわりの言葉をかけられた経験が少なかったのと、

自分の性格も手伝って、

病気の症状が実はつらい状態だったんだということに、気づかなかった。

減薬して元気になって初めて気づいた。

症状がつらかった時期は、

とにかく、

もっと頑張らねば、もっと頑張らねば、と思っていた。

 

 

元気になってみて、

あのつらかった10年の思いを、どう解消すればいいんだろう?

と悩んでいる。

元気だったら、10年で何ができただろう??

 

 

今のところの答えは、

10年、病気でつらかった思いを、

一朝一夕や数ヶ月で解消できたなら、

それは仏様の領域なので、

そんな仏様の心境になれるのなら、

生きている意味はなさそうだから、

もうしばらく煩悩にまみれていよう、

ということになっている。

だって10年だもの。10年って、長いよ。

 

 

 

 

 

体調が良くなった話

アメブロに載せた記事をこちらにも掲載します。

 

 

減薬して体調が良くなった話を書く。

減薬したのは妊娠しても胎児に悪影響のない薬の種類と量にするため。
統合失調症のメインの薬を変え、副作用止めの薬を無くし、妊娠しても大丈夫になったのが2年半前。
この薬の変更で、体調がかなり良くなった。

統合失調症を発症したのが10年前で、その時から薬を飲んでいる。
病気の陰性症状と薬の影響の両方があるのだろうが、
眠い、だるい、頭がボーッとする、外出して異常に疲れる、過眠などの症状があった。
長年こうなので、こういうものだと思って付き合うことを覚えてきた。
それが2年半前の減薬で軽減した。
まず、薬の量を3分の1にした時に、
主治医に、前より会話の返答が早くなったけど、興奮した感じとかない?大丈夫?というような事を聞かれた。
この時はとにかく日中眠くない、寝すぎていないから頭が動く感じがする、と答えた気がする。

 

 

それから、徐々に出来ることが増えてきた。お風呂に入れないことが減り、本が読めるようになった。絵も描けるようになった。あと、ダイエットに成功した。

これは、体調が悪くなる波が減ったので、いろいろなことが継続して出来るようになって、今まで退化してきたものがリハビリされ、出来るようになったんだと思っている。
何事も、それがどんなに小さな事であっても、継続して積み重ねて行けることってすごい能力で、
今まで体調が悪くなるから、なしくずしに出来なくなってきていた、のだ、とこの時気づいた。
8年ぐらいかけて退化していたものが、徐々に復活してきていた。

 

 

余談だが、この少し前から絵を再開して描いていたのだが、この2年半前の減薬以降、絵が明らかに変わった。表現内容が変わったのではなく、細かい所まで描けるようになったので絵の質が向上した。

 

 

そして、劇的に良くなったのが、
妊娠中の減薬。
主治医が変わったので、この薬も要らないと思う、と、ひとつ薬をやめた。
それが昨年の5月、半年ほど前のこと。
その事は、はてなブログの方で記事にした。
http://d.hatena.ne.jp/unaao/touch/20180724/1532406697

 

 

この劇的に良くなった出来事が、
自分の中で消化しきれなくて、
いまだに夫に、事あるごとに興奮して話すので、夫は何回も同じ話を聞かされていい迷惑である。

 

 

睡眠が長くても7時間で足りるようになった。ラジオやテレビや音楽は2時間以上聞くと疲れて苦痛だったが、一日中かけていても平気になった。長時間本が読めるようになった。外出しても以前ほど疲れなくなったので、連泊の旅行ができるようになった。日中は眠くなく、頭がクリアな感じがする。

 

 

妊娠後半はこのように体調が良くなったので、喜んで興奮して過ごしていた。生きているのってこんなに楽だったんだ、と思った。スーパーマリオで言えば、スターをとって無敵になった感じだ。
と同時にこの9年なんだったんだろう、と良く落ち込んでいた。

 

 

妊娠中は、妊娠中だから安定しているのか、子どもが外に出たらこの調子の良さが維持されるのか疑問だったが、今のところ、一般的な産後の大変さを除いては元気だ。

 

 

妊娠・出産に前向きになれなかった理由のひとつに、体調の波があって動けない事もあったから、子育てができるのだろうかという不安もあった。それが意外な形で解決してしまった。
以前の体調だったら、それでも子育てはしたのだろうが、相当大変だったはずだ。

 

この事を考えるたびに、幸運に喜び、興奮している。
なので記事にしてみた。

マリオのスターは時間が決まっているけど、私のは永遠に続いて欲しい。
スターよ永遠なれ。

卒業

あるところで、ある人に、

大学で発病してから子どもを産んで育てるところまでの11年間の話をした。

自分の気持ちまではそこまで話せず、

出来事を説明するだけで2時間半かかった。

 

帰宅して一息ついてから、統合失調症はもう卒業でいいかな、と思った。

治療をやめるのではなく、薬も飲むし通院もするが、自分の意識の中でたいして重要なことではなくなってきた。

 

体調が悪い時は、日常生活を送るだけでそれは戦いで、うまく一日が過ごせればそれは嬉しいことで喜ばしいことで、日常はただ当たり前に過ぎていくものではなかった。病気がいつも目の前に立ちはだかっていた。

 

でも今は、基本的な生活のやること(食事、家事、お風呂、朝起きることとか)は難なくこなせるし、それをベースにしていろんなことに取り組んでいるし、重要なのは、それが継続できている。

今日も明日もその次の日も、きっとできる。そういう体調になった。

 

そして、身体的にも精神的にも人生の出来事としても、すごいイベントである出産がなんとか無事に終わった。

今の主治医は、出産はホルモンの変化としても精神的な変化としても大変なライフイベントだから、それを乗り越えられたのだから今後についても自信を持っていいと思いますよ、と言った。

 

もう統合失調症にとらわれなくて過ごせるようになってきた。

だから卒業しようと思う。