日記

統合失調症とちょっとアートの備忘録。

音楽の力

子供が熱を出して1週間と1日経った日の話。

 

子供が高熱をだしてうなされているのをみるのは

心配で疲れるし、

今回は高熱が5日続いた。

また、うちの子は熱を出すと抱っこじゃないと寝ない。

夜は一人で寝てくれたのだが、

昼寝の数時間はずっと抱っこ。もう13キロもある。

看病と食事の用意等しながら、それを8日間。

毎日、明け方に夜泣きをする。(熱を出してからはじまった)

少し元気がでてくると

エンドレス絵本読み聞かせ・エンドレス積み木。

 

預けずに自宅で子供を育ててる人は

ずっとこれをやっているので

本当に頭が下がる。

私は統合失調症もあり、

それが子育てであろうと、仕事であろうと、

フルタイムで何かをするのは無理だと思う。

普段は毎日10時間寝て、日中はやっと動けるし、

昼間は数時間単位で休憩をいれている。

保育園にいれてよかったとつくづく思った。

 

それで。音楽の話。

熱をだして8日目は土曜だったので

夫がいて、夫の用事がすんだあと外出させてもらった。

もともとキャパが少ない上に8日看病して、

限界にきていた。

希死念慮がでてきていたし、ちょっと吹っ切れれば虐待をしそうな心境だった。

歩いていても景色は平面的にみえて、頭はモヤモヤしていた。

近くの喫茶店にはいってホットココアをたのんだ。

そこはいつもクラシックがながれていて、

あとで調べたのだが、そのときはピアノ曲

ショパンノクターンがながれていた。

その店に行く前、スーパーのイートインにしようか迷ったのだけど、

今の体調だとうるさすぎて疲れるだろう、という判断があった。

統合失調症は音に敏感なところがあって、

疲れるとそれが顕著になる。

それで、その店でココアを飲んで店をでたのだけど、

ショパンノクターンがただ頭に残った。

 

そのときは、音楽に癒やされた、とか

心にしみた、とか思わなかったのだけど、

家に帰っても頭にノクターンが残っていて、

きっと確実に、

心身に沁み渡ったのだと思う、音楽が。

 

それで、これに似たことが前にもあったな、と急に考え込んでしまった。

そして思い出したのは、大学時代の講義の感想文だった。

 

大学時代、ピアノ音楽文化史という面白い授業があって、

ピアニストの教授が、ピアノを前にして時々弾いて聞かせながら

ピアノや音楽についての歴史や、文化的なトピックを話した。

私の大学はとっていい講義の枠が割と自由だったので

音楽科のその授業も受講できたのではなかったかと思う。

毎回感想文を提出して、それが出席になった。

詳しく思い出せないのだが、その感想文に、

音楽で感動した経験を書く回があったのではないかと思う。

 

そこに私は、

「私は持病があって1週間も寝込んでしまい、

起き上がることができなくて頭もぼんやりしてなにもできないこともある。

そのときに必要があってかけた電話の保留音がエルガーの愛の挨拶だった。

ぼんやりした頭でそれを聴きながら、ただの単調な電子音の連続にとても感動して

力が出てきたことがある。」

 

というようなことを書いた。

もう10年以上前の感想文で、記憶だけで書いてるから

間違っているはずだけど、書きたかった出来事はあっていると思う。

 

そう、起き上がれないしんどい体で聞いた

電話の保留音。忘れかかっていたけどすぐ思い出せた。

エルガーの愛の挨拶。

単調な電子音にも、ちょっとでかけた先のBGMにも宿っている、音楽の力。

 

そんなちょっとした出来事を

記録しておきたくて、記事にした。

 

youtu.be

 

youtu.be

事故の起き方

 

まだ2歳かそこらの子供が、

階段を降りようとしていた。

いつもここで「抱っこ」と言って

抱っこされるので、

子供はそのつもりで、母である私をみた。

私はその時とても疲れていたので、

(ん?自分で降りてよ!)

と思って疲れた顔でチラリと子供をみた。

子供はそれを察知した。

子供が私をみて私が子供をチラリと見て、

その間多分0.1秒くらい。

察知した子供は自分で降りようとした。

でも身体は抱っこされる体勢でいた。

気持ちは自分で降りようと思った。

身体は抱っこ、気持ちはなんかママ機嫌悪いし自分で降りなきゃ。

その後、階段で転んだ。

 

ただ転んだだけで、怪我もなく何事もなかったのだが、

ああ、こうやって事故は起きるのかと思った。

 

身体と気持ちの不一致。

それを至らしめた周りの環境。

本人の気持ちと周りの人たちの思惑の影響のされあい。

その周りの人たちもまた、様々な環境でその状態になり、そこに存在している。

 

この件は1対1だし単純な仕組みだったけど、

複雑に状況が絡み合い、世の中の事故は起きているのかもな、と思い至った。

被害者と加害者に単純に分けられないだろう。

(もちろん分ける必要はある。裁判のためとか、刑を受けるためとか、色々な事情で。

罪がなくなったことになるわけではないし、そういうことをここで言っているのではない)

今の私の行動と気持ちが回り回って、世界にどう影響するだろう、と思った。

 

 

核心をつくのは専門家ではない

ぶっちゃけた話を書かせてください。

表向きには言えない思い。こっそりと。

 

 

自分の絵の展示会場に滞在している。

いろんな人が来るけれど、会場に入るとだいたいどんな人かの雰囲気が漂う。

何かの美術作家だな、

ギャラリー巡りをしている美術マニアだ、

たぶん新聞みてきてくれた普段はギャラリーには行かない人たち、

お金持ちのマダム(絵買ってくれそう←うわすごい下心)

ギャラリストか評論家かわからないけれど、なにか美術の専門家だな、

会場のエリアで仕事をしている人たち、

あと、友人知人(これはわかるの当たり前)

 

 

たぶん趣味で絵画の教室に通っている年配の女性グループがきた。

一人だけ少し離れてゆっくり絵を見ていた。

少し話すと、耳が遠いみたいだ。

その人が何枚かの絵を見て

「こういう感じがするわ。これはこうで、この絵でこうなって、こっちの絵でこうなるイメージがするわ。」(絵の内容の話なのでここには具体的には書かない)

その内容が、私がこういうことを表現したいのではないか、

と思って今回取り組んだ内容そのもので、

しかもまだ掴み切れていなかったその先まで話していたので

はっ!と思って背中がゾクゾクした。

 

 

複数のギャラリストにアドバイスももらったし、

知り合いの美術家たちと絵についての話もするし、技術的な話もいろいろあるし、

その話をもとに次の表現についていろいろ考えるけど、

そんなことは枝葉末節だった、と気づくくらい、

ここまで核心をついた話をした人は初めてだった。

 

 

そういう話が聞けて、会場にいて本当によかった。

私の思いを伝える相手はもしかしたら美術の専門家ではない人たちなのかもしれない。

 

人の認識は儚い

人の認識は儚い。

 

統合失調症で困ることの一つは、

何が事実だったかわからないことだ。

 

奇声を上げながら通り過ぎる人がいた、その人は私がおかしい人だからそれを嘲笑うために奇声を上げている、と思うとする。

 

被害妄想が症状としてある統合失調症の人は、

私がおかしい人だから奇声を上げている、というのは被害妄想かもしれない、と考えなおす。

いや、そもそもその通り過ぎた人が奇声を上げていた、ことさえ妄想かもしれない。

ちょっとした笑い声や、びっくりした声が奇声に聴こえただけかもしれない。

では、何が事実だったのだろう、全ては闇の中だ。

そして思う、私いま、ちょっと体調悪いのかもしれない。

そういうことが日常。

 

私が高校生の時、赤い自転車で通学していて、

自転車置き場に到着すると、いつも男の子二人が立ち話をしていた。

その男の子たちは、私の赤い自転車のことを笑っている、と思っていた。

それは、そういう感じがする、ではなくて確信だった。

あ、また笑っている。そう思って毎日男の子たちの横を通り過ぎた。

それが、ただ通学時間帯が私と同じで、仲の良い男の子が私とは関係ない世間話をしていただけ、の可能性の方が高い、と気づいた時、私は30歳を過ぎていた。

 

人の認識は儚い。

 

絵を見ている人に、その絵に何が描いてありますか、と聞く。

何か描いてあるものを答えてもらう。

コツとしては、その絵を見ていない人にイメージしてもらいやすい説明で、答えてもらう。

その場にいる人に順番に聞いていって、もう何も答えられないところまで、

なんでもいいから答えてもらう。

最後の方の人になると、あ、それは気づかなかった、

確かにそれは描いてあるのに、そこを見ていなかった、ということに気づく、

そういう授業を大学の時に受けた。

 

人は同じものを見ているのではなくて、

真実とか事実があるのではなくて、

その人の感じた認識で世界はできている。

世界は人の数だけある。

 

そういう話が物理であったよね。

難しい理論はわからないけれど、私は私の経験から、そのように感じる。

 

 

 

 

 

 

自然淘汰

私の母は出無精で、家にこもっていた。

仕事もしていなかったし、友達もいなかった。

いたのかもしれないが、母の葬儀の時、

母の死を連絡するべき母の友達を、

家族は誰一人知らなかった。

神経質で不満が多かった。周りの出来事に満足しない人だった。

いつも深刻で疲れた顔をしていた。

家が片付かない、といつも言っていた。

家は片付いていて綺麗な方だった、

私が今までの人生で他人の家を見た経験からするとそうだった。

母は50代で高血圧で脳出血で突然死した。

 

何年も経って私は清掃のパートをするようになって

母と同じ年代の女性たちと働くようになった。

何回かお茶をした。

どの人もその歳まで生きているといろんな出来事があって

荒波を乗り越えて生きてきていた。

驚いたことは、みんなその過酷な出来事を、

大笑いしながら話していたことだ。

心底びっくりした。

そのうちの一人の親戚関係なんか酷くて、

私の母の境遇なんて天国か極楽に見えた。

聞くだけて疲れてしまうような、すごく複雑で大変な人間関係だったのに、

それを大笑いしながら話していた。

よくしてくれた夫の三回忌(だったかな?)をきちんと行いたくて

頑張って貯金すると言っていた。

 

辛い出来事を大笑いしながら話すおばさんたちを見ながら、

だから長生きできたんだろうな、と思った。

そして、私の母は自然淘汰されたのかもしれない、と思った。

マイナス思考で身体も動かさないで生きていて

心配事が多くて、

そう言ったことが体に影響して

これでは生きていけないよ、と、

高血圧になって身を滅ぼしたのでは無いかと。

 

日払いのバイトで、何ヶ所かの工場にも短期間いったことがあるけど、

清掃や工場で働いているおばちゃんたちって

時々めんどくさいけど、

バイタリティがあって学ぶことが多いと感じる。

 

 

病気の症状か怠けか

複数の病気仲間と話しているとき、

ある人が

「病気の症状でできないのか、怠けなのかわからなくて悩む」

と言っていた。

私も同じことをよく考えるのでみんな一緒なんだと思った。

別の人の答えは、

「そのことで悩んでいるという時点で、怠けではなく病気の症状があるからじゃないのか」

と言った。

なるほどなあと思った。

怠けだったら、自分で、体は楽なんだけど、めんどくさいから怠けよーって

わかるはずだ。

健常者がよく、「だるいけど頑張っている」「私だって疲れるよ」「疲れてもやらなければいけないことだからやる」という発言をするからこういう悩みが生まれるんだと思う。

その「だるさ」や「疲れ」って、他人にはなれないので比較できない。

根深い問題だと思う。

現時点で私の答えは見つかっていない。

 

 

日本の夏

日本の夏にはお盆と終戦記念日がある。

 夏は亡き人の思いがうごめいていると感じる。

 

広島と長崎の原爆のニュースをやっていた。

その影響だろう。

 

アトリエで大きなキャンバスを何枚も張っていたら

手に豆ができてしまった。

その豆のついた手で炎天下で熱々になっていた自転車のハンドルを握る。

とても痛い。

この程度の皮の剥がれた豆が、この程度の暑さのハンドルで、

こんなに痛いのだから、

原爆の後の人たちはどんなにつらかっただろう、と考えた。

 

被爆直後、皮膚が剥がれた手を前に出して歩いていた人たちがいたという。

皮が剥がれたのでくっつかないようにするため手を出していたそうだ。

 

少し想像したが想像にあまりある。

この豆程度で痛い痛いと思っている肉体だ。

 

最近、アンネ・フランクのドキュメンタリーもやっていた。

特に子供が生まれてからは

子供が絡む辛い出来事の話を見聞きするのは堪えるようになった。

 

亡き人に想いを向けて、

今私のいる幸せな日常をかみしめる。

夏はそういうことがおおい。