日記

統合失調症とちょっとアートの備忘録。

世界は手間でできている

薬の調整で体調が劇的に良くなったのがちょうど一年前だ。

その頃から、体調が悪かった今までの10年は何だったのだろう、

という悩みがうまれ、

1年もうじうじ悩んでいることになる。

 

日常生活もままならない体調から、

毎日きちんと生活できるようになると、

あ、世界ってこのようにできているのね、という発見がある。

 

お風呂に入るでも、歯をみがくでも、

ちゃんと朝起きるでも、朝ご飯をたべるでも、

決まった場所に毎日通うでも、

毎日ちゃんと積み重ねることで物事が前に進み、

できることの可能性が開けてくる。

 

時間と手間をかけただけのことが、ちゃんと返ってくる。

 

世界は手間でできてる。

生きているのってこんなに手間をかけなきゃいけないことだったんだ。

よく、寝込んで、起き上がれないことの多かった日常からすると、

生きているだけで実は、かけなきゃいけない手間があったのに、

それをすっ飛ばしてきたから(病気だから仕方のないことなんだけど)

そのツケを今から、払わなきゃいけないんだと思っている。

10年分。

 

たとえば、単純に、

歯医者に継続して通えなかったから

たくさん治療しなきゃいけない部分が増えてしまった歯を、

いま何か月もかけて治していることとか。

 

統合失調症にかくれて、婦人科の不調(PMS)に気付かなかったので

いま試行錯誤してPMSの対策を探していることとか。

 

本が読めなかった、絵がかけなかった。

10年それができていたら、どこまでいけただろう、と悩むこととか。

 

過去の10年は何だったのだろう、という悔いは

たぶん10年かけて解消していくのだろう。

 

そして、これからかけていく手間は省いたらきっと未来にツケとして返ってくる。

 

特に子ども。

私の育てられ方をみても、

与えられたゆがみはちゃんと何かの形になって表れてきた。

子育てで息抜きしたり、手を抜いたりして全然かまわないのだが、

最低限のところで、かまうところを省くと、

それはちゃんと機嫌や体調に現れることをたった数か月でも経験した。

 

問題行動の多かったおばあちゃんには、

病気で倒れた時、あまり、助けなきゃと思わなかったが、

いつも優しくマメなおじいちゃんには、

大変だった時、なんとか力にならなくては!と必死になった。

 

優しくされたら優しくしたいし、

困らせられたら遠ざけたくなる。

 

そういう単純な仕組みが、人間だろうと、

日常のささいな動作だろうと、物質だろうと、

宿っている。

 

だから手間を惜しまずに生きていこう。

それを学ぶために病気になったのでは、とさえ思う。