日記

統合失調症とちょっとアートの備忘録。

1対1だと消耗しない、グループだと消耗する、深い付き合いは緊張する、初対面は緊張しない


人と接することが苦手で、在宅での仕事をしている。
それでも、人とと会う機会はある。



1対1で会うときはストレスなく話せて、次の日に疲れも残らない。
グループで会うときは、それが仕事であろうとプライベートであろうと親戚であろうと、
すごく消耗する。次の日は動けないことが多い。



陽性症状こそ出ていないものの、何年もずっとくすぶっている疲れやすさ、生きづらさ、
みたいなものがある。
それは何だろうと、いろいろ調べつつ、数年間考えてきた。



そして気づいたことがいくつかあった。



統合失調症の仮説に、フィルター障害というのがある。

フィルター障害仮説
http://www.pref.kyoto.jp/health/health/health03_d.html
「普通の状態では、たとえばにぎやかなところで話をしていても、相手の言っていることがきちんと聞こえます。
これは神経のネットワークによって作られた「フィルター」によって、必要な情報を取り入れ、不必要な情報をカットしているためです。」



聞きたい情報だけでなく、雑多な情報が入ってくる、ということだと思う。
会話している相手の言葉だけを聞き取れればいいのだが、
例えばカフェなら、周りのひとの話し声、食器の音、外を走る車の音、厨房の音、空調の音、外の風の音。。
そんなことまで同じボリュームで聞こえてくる。
また、これは出典が探し出せないのだが、言葉だけのコミュニケーションだけではない、
非言語のコミュニケーション、ノンバーバルな情報に統合失調症の人は敏感だというのである。
仕草、表情など。
これは分かりやすすぎる例だが、たとえば言葉では「怒ってないよ」と言われたけど、態度は怒っているようなとき。
こんなはっきりした例でなくとも、言葉の節々にこういう矛盾が起きるときは多々ある。そうすると混乱する。


なので、


統合失調症の人に共通した気質と行動特性を理解する
http://www.mental-navi.net/togoshicchosho/for-around/
「新しい物事に対する状況判断や決断力に乏しいため、問題解決を必要とするような状況の変化に対応することができません。
状況の変化が急激であったり、課題に直面するとひどく混乱します。」


こういう特性が現れるのだとおもう。



また、精神科医さんのブログでこんな説明があった。


違った視点で眺めてみよう!
http://chigatta.exblog.jp/i16/
「頭を忙しくすることはできるものの、いざ落ち着かせようとしてもなかなか落ち着いてくれない車体(脳)であり、
頭を働かせる毎にブレーキに知らず知らずのうちに負担をかけてしまう傾向が元々あったと考えるのです。」


情報がいっぱい入ってきて大変なのに、ブレーキが利きづらいのである。


私は1対1だと饒舌になる。饒舌というか、「ふつうに」話せる。
グループになるととたんに黙りこくる。一言も話せないこともある。
なので、グループでしか会わない人には寡黙な人だと思われているみたいだ。
誤解も生じる。
グループでしか会わない人が、私が〇〇さんとは沢山話していた、と小耳にはさむと、
心を開いてくれないなあ、とか、愛想がない奴だ、とか思われる。



グループで話している時に私の頭の中で何が起きているか。
言葉のキャッチボールが「見えない」。
速すぎて見えない。
もちろん、会話の内容は分かる。日本語なのでもちろんわかる。
しかし、言葉のあや、とか、冗談、とか、
ボケと突っ込み、また、その友達の力関係、話の流れ、その場の空気、
そのひとの感情(非言語の情報で感情がわかる(つもりになっている))、
まで、人数分!!考えながら、
入ってくる周りの雑多な情報を無視しつつ、
そのときの話題に対する返答を考えて、言葉にしなければならないのである。
時間をかければわかるが、会話が成立するほどのスピードで理解するのは難しい。
だから、グループと別れて家に帰って何時間もして、
あ、あの人こういうこと言いたかったのか!!!!と理解することはしょっちゅうである。



最近疑問に思っていたのは、そうは言っても、私の場合、
初対面グループの中ではうまく立ち回れるのはなぜか、ということだ。
初対面グループ、例えばネットの集まりのオフ会、新しい習い事のグループなどで、
私は結構うまくやっていける。
会話に入れていない人に話題を振り、よく話す人の話を聞き、
適度に自分の情報開示もする。



相手の情報の蓄積がないからかな、と考えた。
Aさんはリンゴが好き、Bさんはぶどうが好き、Aさんは一人ぐらし、Bさんは大家族、、、、。
こんな単純な情報だけならいいが、
AさんはCさんのことが嫌いで、CさんはBさんとよく飲みに行っていて、それに時々Dさんが加わって、
BさんはAさんのことが好きで、DさんはAさんが嫌い。。とか。
そういう力関係が付き合っていくうちに徐々にわかってきて、
それに配慮までしなくてもいいが、
すくなくとも頭の中にその情報が「ある」状態で、その場の雑多の情報を処理しながら、
会話をする。
無理である。
初対面は、蓄積された情報が、ほぼ、無い。負担が少ないのだ。



だから、私は初対面が得意で、関係が深くなってくると疎遠になる。



それに加えて、私の個人的な特徴もわかってきた。
言っていい、言ってはいけない、の判断がつかないのだ。


子供のころの話。
この人にこの事を言ってはダメ、この人になら良い。
なんでアレをあの人に言ってしまったの?!
そういうことが多い家庭で育った。
それが尾を引いている。
今まで書いた混乱に加えて,この判断のしづらさ、がある。



言っていい、言ってはいけない、の判断がわからな過ぎて、
20代のころ、なんでも人に話していた。
その頃出会った人には、あなたってオープンよね。と言われる。
情報開示をしすぎていた。
しかし、情報開示をしすぎると不都合も生じる。
変な噂をされる、病気だからって偏見が生まれる、嫉妬される。そんなこと。
そういうことを身をもって体験して、
年を取って中庸を覚えた。



ずっとつらつらと人付き合いの大変さについて、書いた。
ときどき読み返して、こういう特性があるから、今日こんな体験してつらかったんだ、
と思い至れればよい。