日記

統合失調症とちょっとアートの備忘録。

悔しさ

山崎ナオコーラさんの本を読んだことをきっかけに、
私の今までの歩みやこれからのキャリアについて考えた。



そもそも、本が読めるようになった、というだけで進歩だ。
本を読むとか、集中して絵を描く、とかできるようになったのは
変薬してからだから、2016年5月以降だ。
それ以降、加速度的にどんどん良くなってると思う。
生活リズムが安定し、できることが増えた。



裏をかえせば、それまでできることが少なかったということだ。
23歳ごろ発症、発症する前から少々の不調はあった、16歳くらいからだろうか。
27歳で就職したころは調子よく過ごせていたが、2〜3年のみだ。



できることが増えてくると、
あ、今までこんなに具合が悪かったのか、と気づく。
具合が悪い渦中は、それが具合が悪いからなんだ、ということに気づかない。
だって10年近くそんな調子なんだもの、元気な自分を経験していないから比較できない。



読書一つとっても、本を一冊読むとすごくいろいろなことを考えて
自分の考えが進化する。
これを10年近くできていたなかったんだから、ロスは大きい。
そういうことに、元気になると気づく。



絵画制作についても、そうだ。
20歳ぐらいのときから、取り組みたいテーマはあって、構想もあった。
それを今、順次形にしている。
しかし。
10代20代でもっと制作していれば、勉強していれば・・・・。
と思うことは多い。
とくにキャリア。コンスタントに制作して発表しているひとはやはり質のいいものを作る。
それを築けていれば・・・・。
病気にならなければ・・・・。



はっきり言って悔しい。
人生にはいろいろあって、いろいろな違う見方があるのだろうが、
そんな事考えているより、
悔しい、
と単純に思えばいいのではないか。



今までは、いや、こういう別の経験を出来た、
こういう時期があったことで学ぶことがあった、
病気なんだからしょうがない、
昔より良い治療法があるのだから良いほうだ、
同じ病気でも良いほうなのかもしれない、だから恵まれいるんだ。
そう、考えがちだった。
こういう理論はいくらでも考え出せる。



しかし、悔しいと思ったほうがいいのかもしれない。
もう、猛烈に悔しがっていいんだ。
悔しさをバネに頑張る、という言葉があるが、その意味が初めて分かった。
今までできなかった、今はできる、
できなかった時期が悔しい、だから今頑張る。



そのほうが前向きだと思う。



そういうきっかけになる本を読めてよかった。