日記

統合失調症とちょっとアートの備忘録。

ただの愚痴

これから書くのは、日ごろたまっている愚痴である。
ただの愚痴だ。
溜まり溜まって限界に達したので吐き出してみる。



山崎ナオコーラさんの、「母ではなくて、親になる」という本を人に勧められて読み始めた。



私はいま妊活をしているので、
親になったときの絵画の制作時間のとり方とか、こどもとの向き合い方とか参考になるよ、
と言われて勧められた。
山崎ナオコーラさんは作家で、分野はちがえど、制作をするひとだから。



読み進めるうちに気持ちがむかむかしてきた。



誤解されないように書いておくと、この本は面白いしためになる。
本が原因で気持ちがむかむかしてきたのではない。
「母親でなく親だ」とか「性別でカテゴライズされずに社会参加をしたい」
とか共感できるし、フラットなこの人の考え方は気持ちがすっとするし勉強になる。




この本を勧められたシュチュエーションがまずかったのではないか。




私は絵画制作をして発表している。
発表のペースでいま、躊躇している。
発表の計画もしていて、制作もしているが
体調があるので、(統合失調症プラス妊活)たぶん、他の人よりペースが遅い。
遅いというか、無理がきかない。
踏ん張って頑張るということができない。



他人から見たら、はがゆい。



でも、この病気の不便さは、一緒に生活した人じゃないとたぶんわからない。
私の場合は父親と、夫だ。
夫は、病気のことを知っていて結婚したが、
一緒に生活してみて、はじめて、こういうことか!と思った、と言っていた。



他人から見てはがゆいだけでなく、自分でもはがゆい。
相当につらい。
このことを考えない日はない。毎日考える。



病気に甘えてはいけない。
病気を理由にして自分を制限してしまったら、成長度合いは遅くなる。
(ここで言う成長度合いは、主に、絵画の内容)
でも現実として動けない。
病気の事なんか忘れていしまいたいと思う。
通院も薬もやめてしまいたい。
でも病気のことを忘れてはいけない。
再発したらもとに戻らない、というか回復がさらに遅くなるから、時間の損だ。



先の記事にかいた、美しい世界、も本当は見続けていきたいし、
薬をやめられたらどんなに良いかと思う。




病気に甘えてはいけない。
でも忘れてもいけない。この塩梅がすごく難しい。




症状が、眠いとか体がだるいとか、気力が出ないとか、
外出して異常に疲れるとか、過眠だとか、
目に見えてわかりにくいものなので、
自分でも甘えているのか、本当に無理な範囲なのか、
もしかして他人と同じ疲れ度合いなのだろうか、とか
判断がめんどくさい。
そう、めんどくさい。こんなことに判断力の労力を使いたくない。
他人に説明しても、私だってそうだよ、疲れるよ、
気にすることじゃないよ、同じだよ、と返される。




もう他人に理解してもらうことは労力の無駄なのであきらめたが、
どうも、怠けているまでいかないにしても、楽してる、という風にみられる。





実際の生活では主婦業と、在宅でできる仕事でお小遣い稼ぎをしている。
これは本当にお小遣い程度で、主人の扶養に入っている。
生活費は主人からもらう。
空いた時間で絵画制作をする。
はたからみたら優雅な生活である。



ナオコーラさんは
金にならなくても、この小説はどうしても書きたい、
小説を書いているうちに、そういう感じになってくるという。
気持ちがわかる。
私も作りたいと思った美術作品は、
お金がマイナスになろうとどれだけ時間がかかろうと、作りたいし作るつもりだ。



ナオコーラさんは残業の多い会社をやめて、定時で帰れる仕事に転職した。
後悔しなかった。月給16万の会社で構わなかった。
…はい。16万あれば生活できる。
私が新卒で入った会社は、障害者雇用で、手取り10万くらいだった。
障害者雇用はたいていそれぐらいらしい。9時から18時まで働いてである。



働いて絵を描く。あるいは小説を書く。
その当たり前のことができない。



働けるだけいいのだろうか?
自宅療養もしたから3年留年して、受け答えも上手にできない27歳の新卒が、
どうやって職につけばよかったのだろう?
アルバイトを選べばよかったのだろうか。
そのときの主治医には正社員をめざそう、とアドバイスされた。
それは今思えば的確で愛情のあるアドバイスだった。
障害者雇用を斡旋してくれたエージェントの担当者には、
病気があるのかもしれないけれど、
病気をクローズで新卒で働いて、踏ん張ってつらい思いもして、
そのほうが後のためになると思うけどね、とやんわりと苦言を言われた。
でも就職活動はうまくいかなかった。クローズでも就職活動した。
入社した障害者雇用の一社だけ、受かった。



結婚して、生活環境が変わると急に働けなくなった。
身体の疲労具合が強くなって、働いて数か月すると起きられなくなった。
それでも働きたかったから職を転々とした。
パートも試した。全部だめだった。
働きたかったのは、経済的に自立していたかったからだ。
専業主婦になったころ、夫にお金をもらうのにみじめな思いだった。
子供のことを考えると、減薬しなければならなくなった。
減薬しながら働くのは危険だと判断し、専業主婦になった。



そもそも、残業の無い仕事で18時で帰れる仕事でも、
公務員の夫のほうが早く家に帰る。
夫が夕飯を作る。
夫のほうが稼ぎがいいのに、なんでこんなに家事をしなきゃいけないんだ、となる。
夫婦のバランスはいろいろである。



わたしが、専業主婦です♪と開き直って言えればこんなに悩まないのかもしれない。
でもその度胸がない。
共働きが当たり前の世の中で、自分自身も働きたい思いを思っている。
そう、働いて自分で生活費の足しと画材代くらい稼ぎたい。




一か月に一度クリニックに行く。診察を受けて一か月分の薬をもらう。
相手は医者で、医者は病気が悪くなっていないかチェックする。
医者対病人、という関係をもう10年も、毎月繰り返している。
これが私の意識にもたらす影響は結構大きい。
変わりない?薬出しておくねー、ぐらいならまだいい。
眠れてますか、不安はないですか、こういう出来事はこういうふうに対処していきましょうね。
いろいろ聞かれる。
めんどくさい。
病人なのだという意識を植え付けられる。




障害者手帳を持っている。
私は美術館によく行くから、美術館を無料で利用する。
美術関係者にはそれいいね!と言われる。
確かにすごくお得だ。すごくいいシステムだ。
でも、ときどき使っている自分が腹立たしくなる。
でも、背に腹は代えられない。
安くなるチケットがあって、生活がそれほど裕福ではなかったら、使ってしまうのが人だ。




障害年金をもらっている。
専業主婦になろうか悩んでいるとき、障害年金を申請したいです、と医者に相談したら、
就労意欲がそがれるから反対された。
でも、権利をそこまでつよく否定できないみたいで、
再度お願いしたら診断書を書いてもらえた。
すごく生活の足しになっている。たぶんこれがないと生活はできなくはないが、きつい。
画材が買えなくて絵は描けないだろう。
税金から捻出されたお金をもらって絵を描いている。
時々考える。
私ってなんなのだろう。でも、私は自分で働けないから絵を描いてはいけないのだろうか?
考える。消耗する。
時間の無駄だ。
考えるのをやめる。




ナオコーラさんが、
「性別でカテゴライズされずに社会参加をしたい」と書いていた。
たぶん同じことだと思う。
病気(あるいは障害)でカテゴライズされずに社会参加をしたい。




しかし実際は、そういう社会制度を利用しないと生きていけない。
医療のちから、薬のちから、障害者手帳の制度、障害年金の制度。




そのギャップで今日も明日も悩み続ける。