日記

統合失調症とちょっとアートの備忘録。

空が見える自由


入院してから、どんなにつまらなくても、保護室に比べたら…
と思えるようになった。



 ※なかなかこんな体験する人も少ないんじゃないかと思い。
  少し時間も経ったので冷静に保護室に入った体験を
  書こうとしたんですがやっぱりうまくかけませんでした。
  実際とは少し書き換えているところもあります。


私の場合はかかりつけの内科があって、
そこからの紹介状があった。
その内科から、家族に車に乗せられるなり
説明なく、別の病院(精神科専門)に連れて行かれる。
※何で連れて行かれるのかわからず車から飛び降りようかと思ったけどやめた


統合失調症の妄想はリアルなので本人は病気だという意識がない。
これを病識がないといいます。


病識がないから
そこらへんの普通の歩いてる人を捕まえて、車にのせて病院に連れて行って
保護室に入れちゃうのと心境としては同じ。


診察室で、わけもわからぬまま
「・・・・・ナントカ(覚えてない)・・・・・ナントカ・・・による医療保護入院です。」
と説明され。


と、説明されるなり着の身着のままで保護室へ。
保護室は家族との面会もできない、確か。)
保護室は鍵をかけられて、
外に出る自由はない。
ドアもついたてもない、むき出しのトイレと監視カメラ。
ベッド。
それ以外何もない。
(患者の身の安全を考えてなのだけど)


テレビはある。
けど、天井に近いところにあるので
つけたり消したりするのに
看護婦さんを呼ばなければならない。

「すみませーーーん!」
忙しいからなかなか来ないんだよね。




何かできることはないか。
瞑想でもしろっていうのか。


窓から、建物と建物の隙間に青空がみえた。



「あ、空が見える」と思った。




空が見える自由。

空も見えない部屋に入る人もいるのかなと考えた。


ちなみに保護者は近くの裁判所に行かなくてはならない。
詳しくは知らないが
病気の人が成人の場合、保護者を誰にするか決めるためらしい。
病気だとは言え、それくらい人を拘束するのは面倒なことなのだ。


私は

「病気じゃない!普通の人をこんなところに入れて!出してください」

と何回も言っていた。

でも慣れているんだろう、「同じ人を何人も見てきているから。」と看護婦さんは言っていた。


私は一日で保護室から普通の部屋に移った。
でも保護室に何日も入っている人もいるんだろう。

空が見える自由。
普通の部屋に移っても、差し入れにはチェックが入り、私は最初、鉛筆もダメだった。
自傷する危険があるからじゃないかと思う。




久しぶりに筆記具で文字が書けたときのうれしさ。字が書ける自由。
CDプレーヤーで音楽が聴けたときの身にしみる感動。音楽が聴けるありがたさ。
※ちなみに内田光子さんのピアノをきいた、最高。


数週間、何もできなかっただけでこんなにうれしかったのだから。


普段何気なく享受してるものが、
取り上げられると、
人間って言うのは何かやっていなくては
いられない動物なんだなと思う。


ちなみに携帯のメールチェックは一日2回で時間が固定されていました。
私は妄想により携帯を解約していました(笑)


保護室という比較ができて、どんなにつまらないと思っても
あのころに戻って、ありがたいんだなぁ、
空が見える自由があるんだなぁと思える話。


※これは病気の側から書いたもので、それを支えた家族は大変だったと思う

※あと、病状がひどかったり、うつ病などで保護室に入る人はまた、状況がぜんぜん違うと思う