日記

統合失調症とちょっとアートの備忘録。

そういうふうには見えないから大丈夫だよ


前の記事で、障害の説明の仕方について書いた。
正直、今現在のところ、もう、説明するのがめんどくさくなってきている。
一番大きな理由が、大抵の人が理解できないので、徒労感が多いのだ。




妊婦になって、世間の人がみんな妊婦に優しいので驚いた。
荷物を持っていればいたわってくれるし、心配してくれる。
無理しないでね、身体を大事にしてねと普通に声をかけてくれる。




病人と妊婦を比較できないのはわかる。
妊婦は自分以外のの命を預かっているわけだし、大切にしなきゃいけないのはわかる。
でも、あれ、妊婦の私にはこんなにみんな優しいのに、
病人の私にはなんでこんなに冷たいのだろう、と思わなくもない。
統合失調症の私には。




病人と妊婦は比較できないが、つい、こう、書きたくなる。
統合失調症で苦しんでいた時より、妊婦の今のほうがずっと、楽だ。
いま、妊婦なので、腰痛や胸の張りや、脈拍が増えたのですぐ息が上がることや、
身体が火照って暑いことなど、いろいろあるが、
統合失調症陰性症状でしょっちゅう一週間ほど寝たきりになっていた頃より、はるかに楽だ。




私が割と病名を公表するのは、前の記事でも書いたように、
現状を説明しないと話が進まないことがあるからだし、
統合失調症は隠されてきた病気だから、今は露出して知ってもらうことが大切なのでは、と思っているからだ。




なので、こういう病気で、こういう症状があって動けないこともあるし、つらいこともある、と言う。
「よく知らないから聞くけど、それはどういう感じなの?」と聞き返してくれるひとは優しいなと思う。
大抵の人は返答がにぶり、固まってしまう。なんとなくその話題をとばして、会話を続ける。
よく知らない病気なのだからしょうがない話でもある。
しかし、こういう時の、帰宅してからの徒労感はずっと残る。
多いのが、
「そういう風にはみえないけどね。」
「そういうふうにはみえないから大丈夫だよ」
というセリフだ。
こういうセリフを聞くとき、
統合失調症のような精神病は何かすごく良くない気味の悪いもので、
でも、いま目の前にいるあなたはそういう病気のようには見えないから、気味の悪いものではないから良かったね、
というニュアンスが伝わる。
これって、親切なようでいて、私のつらい症状を無視して、なかったことにしている。
私のつらい症状はなかったことになって、空中で放り出されて固まって、徒労感となって残り続ける。
思い込みではない。
しんどくてだるくて、困ってるよ、と話して、
そういうふうにはみえないから大丈夫だよ、って返されるのって何か違くないか?





「大変ですね、疲れませんか?」
と、一人だけ、(ほんとに、今までの人生で一人だけ)言ってくれた人がいた。
その人は別の病気を抱えている人だった。
こういわれたとき、心底びっくりして感動した。
びっくりして感動するほと、そういう答えを返してくれる人はいなかったのだ、統合失調症という病名に対して。





今のところ、人は思っている以上に、
自分の経験したことしか理解できないのだ、という結論に達している。
統合失調症という障害の説明は、もう疲れたので、
積極的にはしないかもしれない。