日記

統合失調症とちょっとアートの備忘録。

なにを狂気と呼ぶのか


ほぼ日刊イトイ新聞http://www.1101.com/)の昔からの読者なんですが、
そのなかのコンテンツのひとつ「おとなの小論文教室。」を超久しぶりに読みました。発病前以来。


http://www.1101.com/essay/2010-11-10.html



私は発病後、薬のせいなのか病気のせいなのか、
音楽聴いても絵を見ても、昔のような繊細な(あるいは繊細過ぎた)感受性は
無くなってはないにしろ、随分減ったと思っていて、
(聴こえ方、見え方が前と違うんです)
それと近い感覚で、書いてあることがよくわからなかった。
前は真剣に読んでいた、好きなコンテンツの一つだったのに。



前のような繊細な感性を取り戻したいと思うこともありますし、
逆に、今の状態が一般的なのでは?、むだな感情の爆発はなくなったから、平和なのではと思うこともあります。



おとなの小論文教室にある、「地下室の下にはまた別の地下室がある」
という村上春樹さんの意見、授業で読んだことのある
「<子ども>のための哲学」 永井均 講談社 の、
ウィトゲンシュタインが、哲学をしばしば潜水にたとえた、という話に似ている気がします。
こちらで抜粋が読めます。
http://mitsubachi-bros.seesaa.net/article/157655170.html



以前の日記のコメントにも書いたことを引っ張りだしてくると、
http://d.hatena.ne.jp/unaao/20081218/1229594640#c



「文章なんて書かなくても生きていける人もいるわけで、
その感覚がが最近になって分かった気がします。
その感覚が、『「通り」をよくする』という記事に書いたことで、
それが、人とのコミュニケーションをとおしてではなくて、
病気になることで、なかば、一気に強引に「通り」がよくなってしまったのかな、というのが解釈です」


この、文章を書かなくても生きていける人、というのは水面を泳いでいる人なのかなと思ったり。いや、ちょっと違うな。文章を書かなくても<哲学>はできるかもしれませんし。



小論文教室に戻って、
「俳優は体力と精神力が無ければぜったい出来ない・・・」
そうなのでしょう。狂気さえも飼い慣らせるだけのキャパシティと精神力。



ところで精神病という名がついているだけあって、この病気の人は
ここでいうところの精神力が弱いのでしょうか。
地下室の奥の地下室への扉が開きやすいのか、それとも
地下室自体が小さすぎるのか。でも「暗がり」とはまた違う気もするなあ。
「暗がり」は私は経験したことはないなあ、と思います。



人間の存在というのは二階建ての家だとしたら、

発症したときというのは、屋根を突き破っちゃったのかなーと思ったりして。(笑)

リンクが多くて失礼しました。