日記

統合失調症とちょっとアートの備忘録。

断薬

妊婦になった。
不妊治療をしたのだが、そのことについて詳しくはここに書かない。



今飲んでいる薬はジプレキサジェイゾロフトである。
医師と方針を確認し、薬を飲みながら妊娠継続することになった。
新しい主治医にジェイゾロフト抗うつ剤)は個人的に要らない気がする、と言ったら
様子を見ても元気そうだし、この少ない量で効果があるのかも疑問だから、やめてみますかということになった。
一応処方するので、やめてみてやっぱり調子が悪かったら飲み始めてもいいです、
やめてみて平気だったらそのままやめてみましょう。と言われた。
量が少ないから離脱症状はでないはずです、とも言われた。



以前、ジェイゾロフトを勝手にやめたときに、
ビリビリと電気が走るような症状が出て、離脱症状だと言われたから、今回も出るのでは、と個人的には思っていた。



やめてみて次の日からビリビリした感じが出始めた。
予想はしていたし、そんなに強くないのでたいして気にしなかった。



翌々日の朝から風邪を引いた。
のどの痛みと鼻詰まりと鼻水。ふつうに風邪を引いたんだと思っていた。



そのうちに、離脱症状のビリビリした感じがいつまで続くのか気になって、検索してみた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8A%97%E3%81%86%E3%81%A4%E8%96%AC%E4%B8%AD%E6%96%AD%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4
ウィキペディア抗うつ薬中断症候群、というのがありまして。
読んでいてたら、症状がいくつも挙げられている中に、風邪のような症状というのがあってびっくりした。
この風邪はもしかして離脱症状なのだろうか、、、、!?



そのうちに、嘔吐もするようになった。
ふだん、嘔吐するときのようなむかむかして気持ち悪いのではなく、何事もないのだが吐く感じがして急に吐く。
食欲も落ちた。



ウィキペディアにあるなかの、かぜ様症状、吐き気/嘔吐、電気ショック感覚、アカシジア、気分の落ち込み、不眠を経験した。
もしかしたら、本当に風邪をひいたのかもしれないし、嘔吐もたまたまかもしれないし、
私にはほんとうにこれが離脱症状なのかは判断できない。
とにかく、断薬から10日たって、今は症状は全部落ち着き、元気に過ごしている。




しかしまあ、抗うつ剤をやめて風邪のようになるってちょっとイメージしづらい。
脳の薬なのに風邪!?!?と、しばらくびっくりしていた。




不妊治療の話になるが、私は抗精神病薬の影響で高プロラクチン血症になっていた。
頭が悪いので正確には書けないが、私なりに理解したことを書くと、
プロラクチンというのは母乳を出すことに関係するホルモンで、
このホルモンのコントロールをするのがドーパミンらしい。
プロラクチンが高すぎると妊娠しにくいので、不妊治療のためにドパーミン作動薬のひとつを飲んだ。



統合失調症ドーパミンの分泌・活動の異常のために妄想がおこる、といわれている。
抗精神病薬は簡単に言うとドーパミンを抑える薬だ。
そして、ドーパミンを過剰にブロックしてしまって副作用が起こる。
それが高プロラクチン血症というわけ。
それで妊娠するためにドーパミン作動薬を飲む。



なんだか私の脳はややこしいことしてるなあ、と思った。
とってもめんどくさいなあ。




ただ、この経験から人間の身体って不思議だなあ、としみじみ思った。
脳の物質の働きによって母乳を出したり妊娠したり、身体に変化が現れるんだから、
脳の薬をやめて風邪をひく、ということもあり得るかもしれない。




身体だ、脳だ、心だ、と分けて考えがちだけど、
みんな面白いようにつながっていて、複雑に働きかけあって、成り立っているんだなあ。
それがうまく働いて、今、元気に過ごせているんだから、
それはすごいことなのかもしれない。

ニーチェ


神は死んだと言ったのはニーチェだが、
中世やそれより昔は
宗教に参加することが社会に参加することだったかもしれない。
資本主義の現代では
経済活動に参加することが社会に参加する事だと感じる。
お金を得るということは、いろいろな権利を得るということだ。



お金を稼げない肉体になってそれをひしひしと感じる。
経済の輪に入っている間は、当たり前のことすぎてわからない。


そしてそのことを、
その輪から外れたことのない人間に理解してもらうのは困難だ。

悔しさ

山崎ナオコーラさんの本を読んだことをきっかけに、
私の今までの歩みやこれからのキャリアについて考えた。



そもそも、本が読めるようになった、というだけで進歩だ。
本を読むとか、集中して絵を描く、とかできるようになったのは
変薬してからだから、2016年5月以降だ。
それ以降、加速度的にどんどん良くなってると思う。
生活リズムが安定し、できることが増えた。



裏をかえせば、それまでできることが少なかったということだ。
23歳ごろ発症、発症する前から少々の不調はあった、16歳くらいからだろうか。
27歳で就職したころは調子よく過ごせていたが、2〜3年のみだ。



できることが増えてくると、
あ、今までこんなに具合が悪かったのか、と気づく。
具合が悪い渦中は、それが具合が悪いからなんだ、ということに気づかない。
だって10年近くそんな調子なんだもの、元気な自分を経験していないから比較できない。



読書一つとっても、本を一冊読むとすごくいろいろなことを考えて
自分の考えが進化する。
これを10年近くできていたなかったんだから、ロスは大きい。
そういうことに、元気になると気づく。



絵画制作についても、そうだ。
20歳ぐらいのときから、取り組みたいテーマはあって、構想もあった。
それを今、順次形にしている。
しかし。
10代20代でもっと制作していれば、勉強していれば・・・・。
と思うことは多い。
とくにキャリア。コンスタントに制作して発表しているひとはやはり質のいいものを作る。
それを築けていれば・・・・。
病気にならなければ・・・・。



はっきり言って悔しい。
人生にはいろいろあって、いろいろな違う見方があるのだろうが、
そんな事考えているより、
悔しい、
と単純に思えばいいのではないか。



今までは、いや、こういう別の経験を出来た、
こういう時期があったことで学ぶことがあった、
病気なんだからしょうがない、
昔より良い治療法があるのだから良いほうだ、
同じ病気でも良いほうなのかもしれない、だから恵まれいるんだ。
そう、考えがちだった。
こういう理論はいくらでも考え出せる。



しかし、悔しいと思ったほうがいいのかもしれない。
もう、猛烈に悔しがっていいんだ。
悔しさをバネに頑張る、という言葉があるが、その意味が初めて分かった。
今までできなかった、今はできる、
できなかった時期が悔しい、だから今頑張る。



そのほうが前向きだと思う。



そういうきっかけになる本を読めてよかった。

クリニック変えた

クリニックを変えた。
薬をちゃんともらい、ちゃんと飲んで
久しぶりにまとまった睡眠をとった。




新しいクリニックでは、
今までの経緯は聞かれたものの、
落ち着いてるから、薬無くなりそうな頃また来てねー。
だけで終わった。




あっけないくらい、あっさり。
今までの主治医に、
不安はないですか、こういう時はこういう風に対処していきましょう、あーだ、こーだ。
と、あれこれ言われていたのは何だったのだ。





これなら病院に通ってもいいぞ。
こんな解決をするとは。
びっくりだ。

ただの愚痴

これから書くのは、日ごろたまっている愚痴である。
ただの愚痴だ。
溜まり溜まって限界に達したので吐き出してみる。



山崎ナオコーラさんの、「母ではなくて、親になる」という本を人に勧められて読み始めた。



私はいま妊活をしているので、
親になったときの絵画の制作時間のとり方とか、こどもとの向き合い方とか参考になるよ、
と言われて勧められた。
山崎ナオコーラさんは作家で、分野はちがえど、制作をするひとだから。



読み進めるうちに気持ちがむかむかしてきた。



誤解されないように書いておくと、この本は面白いしためになる。
本が原因で気持ちがむかむかしてきたのではない。
「母親でなく親だ」とか「性別でカテゴライズされずに社会参加をしたい」
とか共感できるし、フラットなこの人の考え方は気持ちがすっとするし勉強になる。




この本を勧められたシュチュエーションがまずかったのではないか。




私は絵画制作をして発表している。
発表のペースでいま、躊躇している。
発表の計画もしていて、制作もしているが
体調があるので、(統合失調症プラス妊活)たぶん、他の人よりペースが遅い。
遅いというか、無理がきかない。
踏ん張って頑張るということができない。



他人から見たら、はがゆい。



でも、この病気の不便さは、一緒に生活した人じゃないとたぶんわからない。
私の場合は父親と、夫だ。
夫は、病気のことを知っていて結婚したが、
一緒に生活してみて、はじめて、こういうことか!と思った、と言っていた。



他人から見てはがゆいだけでなく、自分でもはがゆい。
相当につらい。
このことを考えない日はない。毎日考える。



病気に甘えてはいけない。
病気を理由にして自分を制限してしまったら、成長度合いは遅くなる。
(ここで言う成長度合いは、主に、絵画の内容)
でも現実として動けない。
病気の事なんか忘れていしまいたいと思う。
通院も薬もやめてしまいたい。
でも病気のことを忘れてはいけない。
再発したらもとに戻らない、というか回復がさらに遅くなるから、時間の損だ。



先の記事にかいた、美しい世界、も本当は見続けていきたいし、
薬をやめられたらどんなに良いかと思う。




病気に甘えてはいけない。
でも忘れてもいけない。この塩梅がすごく難しい。




症状が、眠いとか体がだるいとか、気力が出ないとか、
外出して異常に疲れるとか、過眠だとか、
目に見えてわかりにくいものなので、
自分でも甘えているのか、本当に無理な範囲なのか、
もしかして他人と同じ疲れ度合いなのだろうか、とか
判断がめんどくさい。
そう、めんどくさい。こんなことに判断力の労力を使いたくない。
他人に説明しても、私だってそうだよ、疲れるよ、
気にすることじゃないよ、同じだよ、と返される。




もう他人に理解してもらうことは労力の無駄なのであきらめたが、
どうも、怠けているまでいかないにしても、楽してる、という風にみられる。





実際の生活では主婦業と、在宅でできる仕事でお小遣い稼ぎをしている。
これは本当にお小遣い程度で、主人の扶養に入っている。
生活費は主人からもらう。
空いた時間で絵画制作をする。
はたからみたら優雅な生活である。



ナオコーラさんは
金にならなくても、この小説はどうしても書きたい、
小説を書いているうちに、そういう感じになってくるという。
気持ちがわかる。
私も作りたいと思った美術作品は、
お金がマイナスになろうとどれだけ時間がかかろうと、作りたいし作るつもりだ。



ナオコーラさんは残業の多い会社をやめて、定時で帰れる仕事に転職した。
後悔しなかった。月給16万の会社で構わなかった。
…はい。16万あれば生活できる。
私が新卒で入った会社は、障害者雇用で、手取り10万くらいだった。
障害者雇用はたいていそれぐらいらしい。9時から18時まで働いてである。



働いて絵を描く。あるいは小説を書く。
その当たり前のことができない。



働けるだけいいのだろうか?
自宅療養もしたから3年留年して、受け答えも上手にできない27歳の新卒が、
どうやって職につけばよかったのだろう?
アルバイトを選べばよかったのだろうか。
そのときの主治医には正社員をめざそう、とアドバイスされた。
それは今思えば的確で愛情のあるアドバイスだった。
障害者雇用を斡旋してくれたエージェントの担当者には、
病気があるのかもしれないけれど、
病気をクローズで新卒で働いて、踏ん張ってつらい思いもして、
そのほうが後のためになると思うけどね、とやんわりと苦言を言われた。
でも就職活動はうまくいかなかった。クローズでも就職活動した。
入社した障害者雇用の一社だけ、受かった。



結婚して、生活環境が変わると急に働けなくなった。
身体の疲労具合が強くなって、働いて数か月すると起きられなくなった。
それでも働きたかったから職を転々とした。
パートも試した。全部だめだった。
働きたかったのは、経済的に自立していたかったからだ。
専業主婦になったころ、夫にお金をもらうのにみじめな思いだった。
子供のことを考えると、減薬しなければならなくなった。
減薬しながら働くのは危険だと判断し、専業主婦になった。



そもそも、残業の無い仕事で18時で帰れる仕事でも、
公務員の夫のほうが早く家に帰る。
夫が夕飯を作る。
夫のほうが稼ぎがいいのに、なんでこんなに家事をしなきゃいけないんだ、となる。
夫婦のバランスはいろいろである。



わたしが、専業主婦です♪と開き直って言えればこんなに悩まないのかもしれない。
でもその度胸がない。
共働きが当たり前の世の中で、自分自身も働きたい思いを思っている。
そう、働いて自分で生活費の足しと画材代くらい稼ぎたい。




一か月に一度クリニックに行く。診察を受けて一か月分の薬をもらう。
相手は医者で、医者は病気が悪くなっていないかチェックする。
医者対病人、という関係をもう10年も、毎月繰り返している。
これが私の意識にもたらす影響は結構大きい。
変わりない?薬出しておくねー、ぐらいならまだいい。
眠れてますか、不安はないですか、こういう出来事はこういうふうに対処していきましょうね。
いろいろ聞かれる。
めんどくさい。
病人なのだという意識を植え付けられる。




障害者手帳を持っている。
私は美術館によく行くから、美術館を無料で利用する。
美術関係者にはそれいいね!と言われる。
確かにすごくお得だ。すごくいいシステムだ。
でも、ときどき使っている自分が腹立たしくなる。
でも、背に腹は代えられない。
安くなるチケットがあって、生活がそれほど裕福ではなかったら、使ってしまうのが人だ。




障害年金をもらっている。
専業主婦になろうか悩んでいるとき、障害年金を申請したいです、と医者に相談したら、
就労意欲がそがれるから反対された。
でも、権利をそこまでつよく否定できないみたいで、
再度お願いしたら診断書を書いてもらえた。
すごく生活の足しになっている。たぶんこれがないと生活はできなくはないが、きつい。
画材が買えなくて絵は描けないだろう。
税金から捻出されたお金をもらって絵を描いている。
時々考える。
私ってなんなのだろう。でも、私は自分で働けないから絵を描いてはいけないのだろうか?
考える。消耗する。
時間の無駄だ。
考えるのをやめる。




ナオコーラさんが、
「性別でカテゴライズされずに社会参加をしたい」と書いていた。
たぶん同じことだと思う。
病気(あるいは障害)でカテゴライズされずに社会参加をしたい。




しかし実際は、そういう社会制度を利用しないと生きていけない。
医療のちから、薬のちから、障害者手帳の制度、障害年金の制度。




そのギャップで今日も明日も悩み続ける。