わけあって
国立ハンセン病資料館に何度も足を運んでいる。
唯一の「病」をあつかった資料館だ。
戦後すぐ、特効薬が登場し治る病気となったにもかかわらず、患者の強制収容が続けられ、その人権回復に向けた動きの歴史は浅い。
ところで、差別されうる可能性を持っている病を持つ私には
(病ってもともと差別の元かもしれない)
なにか、
「病」を扱った資料館と、どう向き合ったらいいのか、ざわざわした思いがのこる。
ハンセン病の差別の歴史とは比較にならない、という視点は十分承知の上で考えてみると、
それは、ハンセン病がもう、「治る病気」だからじゃないだろうか。
たとえば、「精神病資料館」を作ったらどうなるだろうか。
病気を博物館にしまいこんでしまうのか!といった声が聞こえてきそうである。
それは、博物館がもともと記憶する装置だから、に他ならない。
記憶されるべきものは、それが「過去のもの」とならないようにという思いをこめられて
博物館におさめられる。「過去のもの」となりうる可能性を持ってはじめて
博物館が作られる動きがでてくるのではないか。
※異なる例も多々あるかもしれない。勉強不足。
私がいつも、毎日毎日、薬を飲むときに感じざるを得ない「イラつき」(あまり意識することはないが)
(ここで慮るべきは、治らない病気は、まだいくらでもあり、毎日薬を飲まなきゃいけない病気―糖尿病だってそうだ―さらには、透析やらもっと大変な思いをする病気だってあるということである)
に、これが一生続く(らしい)ということに、なにかヒントがありそうである。
あんまり、表立ってはいえない思いをここに書いてみた。