日記

統合失調症とちょっとアートの備忘録。

生まれて初めて「絵を描いている」感じがした

 

 

以前、「美しい世界」という記事を書いた。

https://unaao.hatenablog.com/entry/20180117/1516218183

 

 

薬を飲み始める前には、
外界からの情報が整合性がとれていて、まとまりがあり、
物質の存在とその醸し出す雰囲気がぴったり合っていた、

美しい世界が見えていたのだが、

薬は義足のようなものなので、

その世界が見えなくなった、と言う内容だ。

 

今日、

展示で発表するとかしないとか関係ない絵を描いていた。

色鉛筆と水彩とパステルで、

以前から頭にあるイメージを描いた。

描いていて、生まれて初めて「絵を描いている」感覚がした。

 

驚くべきことなのだが、

そのあと、

以前見えていた「美しい世界」が見えた。

景色が違って見えた。

 

ずっと求めていたものが得られた。

 

 

 

 

 

 

分析して行動するの繰り返し

長年、体調がよくなかったから、

これだけ動くと疲れでこれぐらい休まないといけないから、

セーブするとか、

予定をキャンセルするとかいう習慣がついた。


または、それがうまくいかなくて、

寝込んでしまった時、

これはどうしてだろう?

これがよくなかったか?

いま、女性特有の周期としては、

どの時期だろう?

あの行動が無理してただろうか?

と考える習慣がついた。



また、

私は感情が激しいほうなので、

なにか自分の気持ちに無理をしていると、

とたんになにかしらの症状としてでてくるから、

自分の気持ちはどうだろう?

と分析するのは常だ。


これがみんな当たり前にやってる事だと思ってたふしがあった。


でもそうではなくて、

多くの人は自分の気持ちがわからなかったり、

体調が悪くなっても、

どうしてか?とは考えなかったり、

ネガティブな感情がでてきても、

それが何故か?とか、

自分はどう思ってるかをよく考えたりしないということを

最近知った。

他人が求めれば、

自分に無理してでもそれに答えることも、

しょっちゅうあることも知った。


ちょっとしたカルチャーショックだ。


夫がよく、

どうしてかわからない、と言ったり、

他人から、

(私は)よく分析してるんですね、

と指摘されたりしたことが続き、

そんなことに気づいた。



ある人も私と同じく、

分析して行動できる人なんだけど、

自分と同じタイプに初めて出会った、

と言った。



そんなに多くはいないらしい。



え、それって生きててつまらなくないだろうか??


ちょっとショックなんである。


でも、私と違うタイプの人も尊重しなきゃと思う。そこを忘れがちなのでよく覚えておかないと思って記事にした。




病気の症状のつらさにフォーカスされない

あるところで、

統合失調症の人は、若いときに発症する事が多いから、就労する機会が与えられないこともあるし、

結婚・妊娠も偏見のためできないこともある。

でもあなたは両方の機会が与えられたんですね。」

と言われた。

その通りなので否定しないけど、

でも、いや、いやいや、

動かない身体で働くの、ふつうに大変ですって。

 

 

統合失調症について発言するとき、

差別や偏見が付いて回って、

症状があるのでつらい・しんどいということがすっ飛ばされてしまう。

病気の症状のつらさにフォーカスされず、

別の部分で戦わなければならない。

 

 

病気なので、ふつうに、つらい。

風邪をひいている人をいたわるように、

骨折している人を手助けするように、

できないものなんだろうか。

 

 

わたしはそのようにいたわりの言葉をかけられた経験が少なかったのと、

自分の性格も手伝って、

病気の症状が実はつらい状態だったんだということに、気づかなかった。

減薬して元気になって初めて気づいた。

症状がつらかった時期は、

とにかく、

もっと頑張らねば、もっと頑張らねば、と思っていた。

 

 

元気になってみて、

あのつらかった10年の思いを、どう解消すればいいんだろう?

と悩んでいる。

元気だったら、10年で何ができただろう??

 

 

今のところの答えは、

10年、病気でつらかった思いを、

一朝一夕や数ヶ月で解消できたなら、

それは仏様の領域なので、

そんな仏様の心境になれるのなら、

生きている意味はなさそうだから、

もうしばらく煩悩にまみれていよう、

ということになっている。

だって10年だもの。10年って、長いよ。

 

 

 

 

 

体調が良くなった話

アメブロに載せた記事をこちらにも掲載します。

 

 

減薬して体調が良くなった話を書く。

減薬したのは妊娠しても胎児に悪影響のない薬の種類と量にするため。
統合失調症のメインの薬を変え、副作用止めの薬を無くし、妊娠しても大丈夫になったのが2年半前。
この薬の変更で、体調がかなり良くなった。

統合失調症を発症したのが10年前で、その時から薬を飲んでいる。
病気の陰性症状と薬の影響の両方があるのだろうが、
眠い、だるい、頭がボーッとする、外出して異常に疲れる、過眠などの症状があった。
長年こうなので、こういうものだと思って付き合うことを覚えてきた。
それが2年半前の減薬で軽減した。
まず、薬の量を3分の1にした時に、
主治医に、前より会話の返答が早くなったけど、興奮した感じとかない?大丈夫?というような事を聞かれた。
この時はとにかく日中眠くない、寝すぎていないから頭が動く感じがする、と答えた気がする。

 

 

それから、徐々に出来ることが増えてきた。お風呂に入れないことが減り、本が読めるようになった。絵も描けるようになった。あと、ダイエットに成功した。

これは、体調が悪くなる波が減ったので、いろいろなことが継続して出来るようになって、今まで退化してきたものがリハビリされ、出来るようになったんだと思っている。
何事も、それがどんなに小さな事であっても、継続して積み重ねて行けることってすごい能力で、
今まで体調が悪くなるから、なしくずしに出来なくなってきていた、のだ、とこの時気づいた。
8年ぐらいかけて退化していたものが、徐々に復活してきていた。

 

 

余談だが、この少し前から絵を再開して描いていたのだが、この2年半前の減薬以降、絵が明らかに変わった。表現内容が変わったのではなく、細かい所まで描けるようになったので絵の質が向上した。

 

 

そして、劇的に良くなったのが、
妊娠中の減薬。
主治医が変わったので、この薬も要らないと思う、と、ひとつ薬をやめた。
それが昨年の5月、半年ほど前のこと。
その事は、はてなブログの方で記事にした。
http://d.hatena.ne.jp/unaao/touch/20180724/1532406697

 

 

この劇的に良くなった出来事が、
自分の中で消化しきれなくて、
いまだに夫に、事あるごとに興奮して話すので、夫は何回も同じ話を聞かされていい迷惑である。

 

 

睡眠が長くても7時間で足りるようになった。ラジオやテレビや音楽は2時間以上聞くと疲れて苦痛だったが、一日中かけていても平気になった。長時間本が読めるようになった。外出しても以前ほど疲れなくなったので、連泊の旅行ができるようになった。日中は眠くなく、頭がクリアな感じがする。

 

 

妊娠後半はこのように体調が良くなったので、喜んで興奮して過ごしていた。生きているのってこんなに楽だったんだ、と思った。スーパーマリオで言えば、スターをとって無敵になった感じだ。
と同時にこの9年なんだったんだろう、と良く落ち込んでいた。

 

 

妊娠中は、妊娠中だから安定しているのか、子どもが外に出たらこの調子の良さが維持されるのか疑問だったが、今のところ、一般的な産後の大変さを除いては元気だ。

 

 

妊娠・出産に前向きになれなかった理由のひとつに、体調の波があって動けない事もあったから、子育てができるのだろうかという不安もあった。それが意外な形で解決してしまった。
以前の体調だったら、それでも子育てはしたのだろうが、相当大変だったはずだ。

 

この事を考えるたびに、幸運に喜び、興奮している。
なので記事にしてみた。

マリオのスターは時間が決まっているけど、私のは永遠に続いて欲しい。
スターよ永遠なれ。

卒業

あるところで、ある人に、

大学で発病してから子どもを産んで育てるところまでの11年間の話をした。

自分の気持ちまではそこまで話せず、

出来事を説明するだけで2時間半かかった。

 

帰宅して一息ついてから、統合失調症はもう卒業でいいかな、と思った。

治療をやめるのではなく、薬も飲むし通院もするが、自分の意識の中でたいして重要なことではなくなってきた。

 

体調が悪い時は、日常生活を送るだけでそれは戦いで、うまく一日が過ごせればそれは嬉しいことで喜ばしいことで、日常はただ当たり前に過ぎていくものではなかった。病気がいつも目の前に立ちはだかっていた。

 

でも今は、基本的な生活のやること(食事、家事、お風呂、朝起きることとか)は難なくこなせるし、それをベースにしていろんなことに取り組んでいるし、重要なのは、それが継続できている。

今日も明日もその次の日も、きっとできる。そういう体調になった。

 

そして、身体的にも精神的にも人生の出来事としても、すごいイベントである出産がなんとか無事に終わった。

今の主治医は、出産はホルモンの変化としても精神的な変化としても大変なライフイベントだから、それを乗り越えられたのだから今後についても自信を持っていいと思いますよ、と言った。

 

もう統合失調症にとらわれなくて過ごせるようになってきた。

だから卒業しようと思う。

 

 

同じ土俵

子どものいる美術作家で、まだ作品を売るだけでは収入にならない人なら、美術以外の仕事を持ち、子育てもし、家事もして、その上で制作する人はたくさんいるはずだ。

 


そういう友人に、 深い意味はなくてポロっと言われたことがあった。

「みんな同じ土俵でやってるからねえ。」

細かいセリフは忘れてしまったが、仕事もして子育てもして、制作もしたいけど時間や体力がなくて、それでもみんな作っている、という文脈だった。

 


すごく気になったので覚えている。

 


私はその頃、週一回のパートタイムでも、はたまた、たとえ月一回のパートタイムでも継続するのが難しい体調で、家事を少しと絵を描いてすごしていた。

 


私は制作はしていたかもしれないが、同じ土俵に立っていなかった。多くの人にとって、お金を稼ぐために働くのは当たり前で、その土俵にすら立ってなかった。経済的環境が許せば働かなくてもいいのだが、働こうと思えば働ける体力はなかった。

 


妊娠中に減薬して体調が良くなって、元気になった現在、やっと同じ土俵に立てたという実感がある。いま子どもが小さすぎる(2ヶ月)ので外では働いてないが(在宅ではいろいろやっている)、今なら働けると思う。

 


元気じゃない頃、体調の悪さをいろんな人に訴えていて、だれも理解してくれないと思っていたが、

元気になってみると、ああ、あれは普通は理解できないな、と良くわかった。

 


みんながみんな、同じ土俵にいるわけではない。そこに登れない人はいっぱいいる。でもそんなこと、忙しく生活してると忘れちゃうんだろうと思う。

 


何が言いたいのかわからなくなってきた。

 


やろうと思えば自分の力でいろいろやれる現状がすごくうれしい。

専門性について

精神科医のkyupin先生のブログをよく読んでいる。
過去記事に「専門性について」というのがあった。

https://ameblo.jp/kyupin/entry-10017162421.html



一部抜粋
「さて、医学生が卒業して精神科に入ってしまうと、
なんとなくテンポが精神科になってしまうのでツブシがきかなくなる。
だから、そういうことを心配する人は最初に2〜3年内科に入局し、
それから精神科に来ようとする。
実は、その方法は良くないのである。
精神科の診断、治療には独特の感覚があり、
これは最初から精神科に来ないと身につかない。
何が違うかと言われても、うまく説明できない。
卒業後、最初に他の科で診療しているのが傷になってしまう感じなのである。
だから僕の大学の医局では、
特に助教授が最初から精神科に来なさいとアドバイスしていたらしい。(同期の友人がそう言っていた)
僕は最初から他科に行き勉強しようなどとは思わなかったのでそんな質問はしなかった。
僕はこのようなセンスは診断の時に影響するような気がしている。
心理学的要因と生物学的要因の評価というか、バランスをとり診断する面で少し違うのである。」



これはよくわかる気がする。
若い時期に「最初に」身に着けた専門性というのは尾を引く。



以前、子宮頸がんの検査で引っかかって、
子宮頸がんとはなんぞや?と思って、解説本を読んでいた。
統合失調症になって少し経っていたから、
統合失調症の本は何冊か読んでいた。
病気は病気でも、統合失調症と子宮頚がんの解説本では随分様子が違うもんだなあ、と思った。
私の感覚でいうと、
精神科の本は、国語の授業っぽく、
婦人科の本は、生物の授業っぽい。
科によって違うんだなあ、と思った。




私は、精神科クリニックをいくつか変えている。
今までかかったクリニックは以下の通りだ。


・入院した精神科単科病院
・大学近くの個人クリニック(おじいちゃん先生)
・実家近くの大学病院の精神科(女性の先生)
・結婚して引っ越した先の近くの婦人科・精神科を診る個人クリニック(男性の先生)
・医者が複数人勤務している個人開業のメンタルクリニック(数回のみ)(私の担当は男性の先生)
・大学病院の精神科(出産のため、産科もある大きな大学病院に移った)(男性の先生)


この中で、4番目の婦人科と精神科の見れる医者は、あきらかに毛色が違う、と最初の受診から思った。
(ちなみにこの記事に書いた、相性の悪かった医者である。
http://d.hatena.ne.jp/unaao/20180624/1529842679


この医師は、産婦人科の研鑽を積んだあと、
産婦人科の患者に精神的なケアが必要なことを感じ、精神科に転科したと、雑誌で読んだ。
そして今は婦人科と精神科を両方診るクリニックを開業している。



この先生にお世話になっていて文句を言うのも悪いが、
最初はよかったものの、だんだん違和感が増大し、限界になり、クリニックを変えることにした。
違和感をどう説明すればいいか、なんとも難しいが、
最初の専門が産婦人科なので、もしかして、精神科の診療は劣っているのではないか、
間違いがあるのではないか、という疑念が大きくなってしまった。
普段の診療で何事もなければそんなことは思わなかったのだろうが、
診察の中でちょっとした違和感があり、それが積み重なった感じである。




患者の身分で、医師の専門性について文句を言っていても悪いので、
自分の専門である、絵画について書く。



ギャラリーや美術館で絵を見ていて、
この人の絵は〇〇美術大学っぽいなあ、この人は〇〇芸術大学っぽい、と思うことがある。
経歴をみるとだいたい当たっている。



また、日本画、洋画、彫刻科、デザイン科、などの科による違いもある。
デッサンなどを見るとその違いは如実に表れる。
彫刻のデッサンと、日本画の人の描くデッサンは全然違うのである。



そもそも受験のときに、美術受験予備校で
科による違いは出来上がってしまうし、
〇〇大学用の作風、というのもわざと作り上げる。
受験対策だ。


なにがどう違うかというのは、説明できなくもないのだけど、
すごくめんどくさいのでここでは割愛する。


同じ絵を描くでも、
ずっと絵画をやってきた人と、イラストから絵画に移行した人というのは違いが出る。
グラフィックデザインから絵画でも、絵画から彫刻でも、
成功を収めた人はいるし、移行することは全然構わないのだが、
違いは絶対現れる。それが良いとか悪いとか言ってるのではなく、
違いがあるというだけだ。


学生の頃、言語学の世界的にエライ人の本を読んでいた。
言語学に興味があって手にとったのだが、
基礎知識が無い私には歯が立たず、読破できなかった。
しかし、印象に残ったエピソードがひとつあった。
言語学の研究をするためには、
必要な学問の専門性を20歳までにすべて身につけておかなければならない、というのだ。
必要な学問がなんだったか、思い出せないが、
この話は20歳までに、というのがミソだと思う。
若い時期に身につけた専門性というのは、のちのちまで尾を引く。
何か専門を身につけて歳をとったあと
別の専門を身につけるのは、きっとできなくはないんだろうけど
先に身につけた専門が影響すると思う。
まあ、言語学の大家になるような天才が言う事なので、万人に当てはめなくても良い。
凡人は一つの専門性を身に着けるだけで精一杯である。


私個人で言っても、
洋画出身だから、そういう描き方が身についてしまっていて、
テーマは日本画に近いし、日本画のテクスチャが大好きなんだけど
日本画に転向するのはやめようと思っている。
とりあえず発表するものに関しては。



こんなこと考えているのも、
精神科クリニックを渡り歩いてきたからであって、
最初の受診で、あれ、毛色が違うぞ、と思えるほど、
精神科に精通してしまったのが少し悲しい。